出発前に予習してみたバルト三国の地理と歴史

[記事公開日]2015年10月4日
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バルト三国私が以前そうだったように、バルト三国って聞いても、それが世界地図のどの辺にあって、なんて名前の三国なのか分からない人って、結構いると思うんですよね。
エリアとして括った場合も、北欧なのか東欧なのか、微妙なところだし。

で、今回はバルト三国を旅行するんで、今後は知らない人に聞かれた時にもちゃんと教えてあげれるように!ってことで、地理と歴史を少し勉強してみましたよ。

バルト三国ってどこ?


バルト三国

マップで確認してみますと。
フィンランドの南、上から順に、エストニア → ラトビア → リトアニア
この3つの国が、バルト三国です。
西側にある大きな海が、バルト海ですね。

思ってたより北にあるんだな~!ってのが、私の最初の印象でしたが、どうですか?
緯度的には、デンマークやスウェーデンの南側と同じぐらいですもんね。

媒体によっては北欧に含めているのもあるし、東欧に分類してるのもあるけど、確かに位置的に微妙ですよね。
歴史的にも、北欧やロシア、そしてドイツやポーランドなど、隣国の影響をたくさん受けているようなので、北欧とも東欧とも括りがたい感じ。


バルト三国の人々のルーツ


バルト三国ってひとまとめにしてるけど、ルーツは全然違うみたいです。
紀元前の頃、フィン・ウゴル族がエストニアのあたりに移り住んで、後のエストニア人になったそう。
一方、バルト族という部族がさらに南の土地に移り住み、後のラトビア人&リトアニア人になったようです。
現在のエストニア人、ラトビア人、リトアニア人って、見た目はどれくらい違うんだろう?
これは、現地を旅して実際に確認してみたいと思います。


バルト三国の歴史

※るるぶバルト三国を参考にまとめてみました

12世紀の頃、現在のラトビアを中心にドイツ十字軍の布教がはじまり、その後エストニアはデンマークの支配下に、ラトビアとリトアニアは、ドイツ騎士団の勢力拡大により、支配されていきます。

15~16世紀には、ロシアがリトアニアなどバルト方面に進出し、その後ポーランドもリトアニアに進出。17世紀に入ると、バルト地域でスウェーデンの勢力が拡大し、スウェーデンはフィンランド、エストニア、ラトビア北部などバルト海東岸一体にバルト帝国を築きます。
スウェーデンのグスタフ2世は、国民の教育に力を入れ、発展につとめた為、エストニアとラトビアにとってはスウェーデン統治時代というのは「黄金の時代」として記憶されているそうです。

1721年、北方戦争でロシアがスウェーデンに勝利したあと、バルト三国はロシア帝国の支配下となります。
19世紀はロシア帝国の全盛期、後半には現在の東欧を中心に世紀末芸術が流行し、ラトビアのリガでは「ユーゲントシュティール(アール・ヌーヴォー)建築」が多く建てられます。

1900年代に入り、革命によりロシア帝国が崩壊、翌年バルト三国は旧ロシア帝国からの独立を達成、その後ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が誕生します。
1939年、第二次世界大戦が勃発し、ドイツに攻撃されたバルト三国は、翌年ソ連への編入を宣言します。
第二次世界大戦下のリトアニアでは、ナチスにより12万5千人ものユダヤ人が虐殺されましたが、この頃リトアニア大使だった杉原千畝さんが、ドイツ軍から迫害を受けたユダヤ人にビザを発給するという人道支援をし、それは今でも世界から賞賛されています。
1985年、ソ連のゴルバチョフ書記長によるペレストロイカ(改革)で、バルト三国の分離独立運動が盛んになり、その後リトアニアのヴィリニュスからリガを結ぶデモ「人間の鎖」が発生、1991年のソ連が解体と共に、バルト三国はそれぞれ独立を果たします。

以上、バルト三国の歴史でした。
数百年もの歳月を隣国の支配下に置かれていて、独立を果たしてからまだ20年ちょっとしか経っていない。本当につい最近まで、過酷な歴史に翻弄されてた国々なんですね。
そんな地で生きてきた人々に会い、独立から20年経った今を見れると思うと、さらに興味が沸いてきます。


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