ワルシャワ街歩きPart1-ユダヤ歴史巡り(ゲットー跡とシナゴーグ)

[記事公開日]

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あまりガイドブックには詳しく書かれていないけれど、現在もワルシャワの街中には、過去に起こった悲しく残酷な出来事、ユダヤ人の歴史を振り返れるような場所が所々にあります。

ポーランドへ旅行する前、ナチスや強制収容所、ユダヤ人強制居住区を題材にした映画やBBCのドキュメンタリーをいくつか観て興味が沸いたので、今回は歴史を巡る系の街歩きをたくさんしてきました。とにかくいっぱい歩いた!


ユダヤ歴史巡りは主に、華やかな旧市街より西側のエリア。




新しい建物と大戦時を彷彿とさせる崩れかかったような建物がすぐ隣り合ってたりして、ちょっと不思議な街並みでした。






斬新な建物のすぐ前に、レンガ壁が崩れかかった廃墟が残っており。
最初見た時は結構ビックリしたけど、結構あちこちにこのような建物はまだたくさん残っていました。
これら、あえて残しているのか、再建予定も未着手なのか、事情がよく分かりません。





街を歩いていると突然お目見えする、大胆でシュールな壁画。



◆ワルシャワ・ゲットー跡、今も残る壁


一緒に行った相棒が、事前に行き方などを調べておいてくれた、ユダヤ人強制居住区(ゲットー)を区切っていた壁の一部が今も残る場所。





Złota通りの62番。
中は普通の民家のようで、一瞬入っていいの?と思う入り口だけど、入っていい場所。






「Access to the memorial」という立札があり、ガイド連れの団体や個人旅行客っぽい人もいたので、他の国ではガイドブックにも載ってるような有名スポットなのかもしれません。






地元の学生さんらしきも、社会科見学だろうか?来てました。





ところで、ユダヤ人が隔離されていたワルシャワ・ゲットーとは、この地図のピンク線で囲まれたエリア。
4km2にも満たない面積の中に、40万人以上が住んでいたそうです。
40万人といえば、私が住んでいる市の人口数とほぼ同じ。それがこんなに狭いレンガ壁で囲まれたエリアに強制的に隔離して住まわされていたわけだから、いかに劣悪な環境下での生活を強いられていたのかと。伝染病などで亡くなる人々も多かったようです。







今も残る、ゲットーを隔離していた壁の一部。
実際はもっと高かったのかな?映画「聖なる嘘つき」や「戦場のピアニスト」で描かれていた壁は、もっと高かったように見えたけど。

きっと何も知らずに見たら、味のある古くて素敵なレンガ壁...だけど、暗い歴史背景を知って目にすると、やはり悲しい壁に見えます。



◆ワルシャワ・ゲットー跡、道路にもサインあり






壁は残っていなくても、元々ここがゲットーの境界だったのだというのが分かるように、道路にもこのような印がされている場所がありました。
柄のように馴染んでいるから、注意深く歩いてないと見逃しちゃいますね。



◆ノジク・シナゴーグ(ユダヤ教礼拝堂)





ワルシャワ中央駅からそれほど遠くない場所にある、戦争で破壊されずに残った唯一のシナゴーグ。





シナゴーグの裏手に、小さなショップがありました。
ここでミネラルウォーターを買ったんだけど、店内は独特の雰囲気で、ユダヤ教の宗教関連グッズ(?)や食品などを扱っている、ユダヤ人の経営するお店のようでした。





シナゴーグの周囲には緑の綺麗な公園があり、ゲットー跡など見た後にこんな道を歩くと、あぁ今は平和な時代なんだな...って、当たり前のことを改めて思ったりしました。


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