アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館を見学(前編)

[記事公開日]

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前回のブログ「ワルシャワ発アウシュヴィッツ日帰りツアーに参加」では、主にツアー後半のクラクフ旧市街観光の様子を書いたけれど、今回はメインのアウシュヴィッツ=ビルケナウ博物館見学について。

アウシュヴィッツといえば通常、アウシュヴィッツ(第一強制収容所)と、ビルケナウ(第二強制収容所)の2つの施設を指します。「アウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチス・ドイツの強制絶滅収容所」として、世界遺産(いわゆる”負の世界遺産”)登録されています。


一般的にはアウシュヴィッツ⇒ビルケナウの順番で周る人が多いと思うのですが、私たちのツアーは逆の順番で、第二収容所のビルケナウから見学を開始しました。

写真がたくさんあるので、2回に分けて書きます。
まずは前編として、最初に見学したビルケナウ収容所について。





ビルケナウ強制収容所があるのは、母体のアウシュヴィッツ(第一強制収容所)から約3キロ離れたブジェジンカ村。
28棟の収容施設があった第一収容所が手狭になり、その2年後に建てられた第二収容所のビルケナウは、300以上のバラックが建てられたほどの収容面積を持つ、大きな収容所です。





ハンガリーから到着したユダヤ人。写真には、小さな子供たちも写っている。
小さな貨車に詰め込まれ、ここへ到着した彼らは、労働力となるか否かを選別され、不適合とされた人々はそのままガス室へ送られたそうです。





いくつかの収容バラックは、このように当時のまま残っていました。






バラックの内部。
元々は馬小屋だったそうで、床は土を固めただけ、そこに蚕棚のような木造の三段ベッドがあるのみ。





丸い穴が空いているこれ、当時の収容されていた人々が使っていたトイレだそうです。
一日に使える時間も決められていたとか。

この収容所で労働を課せられていたユダヤ人に最も人気のあった仕事が、このトイレの汚物処理だったそうです。
その理由は、極寒の冬や真夏の炎天下でも、室内にいれることで比較的楽だった、という。

ここに人間としての尊厳など、なにも無いですね。
劣悪な衛生環境、過酷な労働。ただ、人を殺すための施設。





ビルケナウ強制収容所といえば、この写真のアングルが一番象徴的かなと。
収容される人々が運ばれてきた、貨車の線路跡。





小さな貨車が1つ、ポツンとありました。
このような貨車にギュウギュウに押し込められ、数時間も立ちっぱなしで、やっと到着した場所がこの絶滅収容所だったという、救いのない世界。





この荷下ろし場も、この収容所の象徴的な場所。
労働力となるかどうかの選別が行なわれ、生死の分かれ道となったところ。





労働力とならない人々は、この道を歩かされ、ガス室へ。
なのでこの道を「死の道」と呼ぶそうです。





当時の選別している写真。
労働力となる若者や男性は左側へ、不適合と判断された老人や女性、障がい者や小さな子供たちは右側へ。
大勢の人が右側の「死の道」へ送られているのが、この写真からも分かりますね。





この収容施設のあらゆるものは、ナチスにより証拠隠滅の為に焼いたり壊されたりした為、広い敷地に煙突のみポンポンと建っている場所がありましたが、ここにもかつては多数の収容バラックがあったそうです。






焼却炉やガス室も破壊され、がれきが残っているのみ。





国際追悼碑。約20ヶ国の言語で書かれている碑文が並んでいました。





見学を終えて、国際追悼碑の裏の出口から施設を後にしました。
施設内には、人骨の灰が捨てられた池などもあったようだけど、今回スルーでした。
おそらく、私たちが写真を撮るのに立ち止まったりしてる時間が多かったため、次のアウシュヴィッツ見学の予定もあったので、時間的に間に合わなかったんでしょうね。

ビルケナウ収容所は、私たちとガイドさんの3人で周りました。
気になったことを気軽に質問できて良かったし、ガイドさんはポーランド人だけど日本語も上手で、知識も豊富。色々とお勉強されてるんだろうなーという感じでした。

この後、車でアウシュヴィッツ(第一収容所)へ向かいます。


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